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亜麻の栽培が盛んな地域〜世界と日本〜

辺り一面に咲く可憐な薄紫の花々、初夏になると亜麻の花畑の美しさは人々を癒します。花に魅せられるだけでなく、亜麻はその茎から繊維を採ることで美しいリネンをつくるとても特別な植物です。亜麻がどんな地域で栽培されているのか、歴史とともにご紹介します。

世界における亜麻の生産地

亜麻の原産地は中央アジアの乾燥した土地でしたが、現在は寒冷地での栽培が盛んです。このことから亜麻は暑さに弱く、乾燥に強く丈夫という特徴をもっています。まずは、世界における亜麻の生産地をみてみましょう。

亜麻の生産量はフランスが1位

世界170ヶ国以上、1,600種類以上の国際統計を掲載するGlobal Noteの「世界の亜麻生産量・国別ランキング」(2019年1月4日更新)によると、亜麻の生産量第1位はフランスです。

フランスは約60万トンという生産量を誇っており、これは第2位ベルギーの約7万トンを大きく離す結果となっています。

亜麻は寒冷地で育つということから、フランス国内でもノルマンディー、カレーやフランドル地方といった北フランスが主な生産地になります。これらの地域には四季があり、緯度が高いわりには穏やかな気候に恵まれています。農業国であるフランス、北フランスでは小麦、チーズやワインなど特産物が多くありますが、そのような土地で亜麻の栽培も盛んに行なわれているのです。

フランスの亜麻栽培の現状に関して

亜麻の生産量第1位、フランスでどのように亜麻の栽培がされているのかご紹介しましょう。種まきの後、成長した亜麻は7月〜8月になると実がなります。この時期に、亜麻は機械により綺麗に根ごと抜かれます。亜麻は同じ土地で続けて栽培すると、土が痩せて品質も低下してしまいます。そこで、5年間は別の作物をつくる輪作がなされます。

刈り取られたフラックス草は、まず種を採取してから、乾燥させるためにレッティングという工程に入ります。レッティングは、フラックスの茎から繊維を取り出しやすくするための工程です。収穫したフラックスを約1ヶ月〜1ヶ月半の間、畑に横たわらせ、太陽の光や雨など自然にさらすことで茎のなかの余分な要素は腐敗し、繊維以外の不要なものを取り除くことができるのです。そして、フラックス草からリネンの繊維を取り出すスカッチングという工程にうつります。一部はさらにスライバーと呼ばれる糸にする一歩手前の工程も行なわれます。そこで検査され、リネン繊維の長さや質によって10段階の等級に分けられます。こうしてフランスの土地で大事につくられたリネンはフレンチリネンと呼ばれ、その極上の質感と風合いで高い評価を受けています。

参考:ヨーロッパとリネンの関わり

日本の亜麻栽培は北海道が中心

日本でも亜麻の栽培が行なわれています。寒冷地を好む亜麻は、北海道が日本の唯一の亜麻栽培の場所となっています。

北海道は亜麻の国内唯一の産地

日本国内では北海道で唯一、亜麻の栽培が行なわれています。亜麻の栽培に適した気候がその理由です。特に、北海道石狩郡の当別町(とうべつちょう)が有名です。

当別町は、札幌市から北東に20km〜30kmほどに位置する、人口16,000人ほどの町です。国土交通省・北海道開発局ホームページによると、昭和40年代まで北海道では繊維を採取する目的で亜麻が広く栽培されていました。しかし、化学繊維の台頭により、亜麻は姿を消しました。再び亜麻を「北海道の資源」として見直し、「北海道ブランド」としてその種子(亜麻仁油)に着目し、花の景観と合わせて地域の活性化を図るべく、活動が始まりました。この他に、札幌市、月形町、新十津川町、厚沢部町などでも亜麻栽培が行なわれています。
次に、当別町で行なわれる活動の一環で多くの人を魅了する「亜麻まつり」をご紹介しましょう。日本のどの土地にもない、当別町でだけ開催されるイベントです。

北海道の亜麻まつり

北海道の風物詩のひとつとなった「北海道亜麻まつり」が当別にあります。この亜麻まつりは、亜麻の花がみごろとなる6月下旬〜7月上旬に開催されます。亜麻の可憐で薄紫の花は1日で散るのですが、それも午前中にしか咲きません。亜麻の花畑をみるためには、早起きしてでかける必要があります。しかし、目の前に広がる亜麻の花一面の光景は、早起きして見る価値があるのです。

亜麻まつりでは、亜麻の花畑を見たり、亜麻がリネンになるまでの工程に関する展示、亜麻の実を使った食品や当別町の農産物販売もされ、毎年多くの人で賑わいます。

青い空と薄紫の花々が一枚の絵のように美しい光景、健康効果の高い亜麻仁油など、亜麻に関わる体験を大自然のなかでできる亜麻まつりは日本でも当別町だけの特別なイベントです。

亜麻まつり情報

場所:北海道石狩郡当別町東裏2796-1 旧東裏小学校

時間:7:00-13:00

入場料:無料

問い合わせ:当別町観光協会TEL0133-23-3073 亜麻の里TEL0800-900-4149

公式サイト:http://www.town.tobetsu.hokkaido.jp

北海道と亜麻の歴史

亜麻の唯一の栽培地・北海道。その気候は亜麻栽培に適しており、北海道の人々には重要な産業のひとつでした。しかし、最初に始まって以来、亜麻栽培が順調に続いたわけではなく一度は消え去っているのです。北海道と亜麻の歴史、亜麻栽培がどのように復活したのかご紹介しましょう。

北海道と亜麻の歴史

日本の亜麻栽培は明治時代、19世紀までさかのぼります。1874年、明治維新の中心人物のひとりだった榎本武楊が公使としてロシアへ赴いていました。榎本は、そのロシアから亜麻の種子を日本に送りました。

これは、明治初期にいた北海道開拓使のトーマス・アンチセルによる提言でした。そして、北海道開拓の一環で官営亜麻工場において、亜麻栽培が始まりました。その後、工場は帝国繊維という民間会社に引き継がれます。当別からもたくさんの亜麻が札幌市の繊維工場に運ばれていました。最盛期には、道内で85ヶ所もの亜麻工場が存在していました。その後、第二次世界大戦中はリネン栽培の最盛期になり、亜麻栽培のピークが起こります。当時は推測約5万ヘクタールもの作付け面積規模で、北海道全域、特に十勝地方を中心に広大な土地で栽培されました。これは、ゴルフ場約600ヶ所分というのですから、いかに亜麻栽培が盛んだったかが伺われます。亜麻関連ビジネスのおかげで、工場の周りには病院・旅館・劇場などが立ち並び、活気のある町になっていったのです。ところが、昭和40代に変化が起こります。化学繊維が普及したのです。軍用品の素材としての需要がなくなったこと、化学繊維の普及といった理由が重なり、60年代に亜麻栽培は完全に消え去ったのです。

亜麻栽培の復活

当別町に、2004年設立の有限会社亜麻公社という企業があります。亜麻公社ホームページから、亜麻の歴史をみてみましょう。一度は消えた北海道での亜麻栽培でしたが、2001年に北海道技術コンサルタントの亜麻事業試験栽培が開始されます。そして、2004年には札幌市に亜麻公社が設立され、2006年までに約9ヘクタールの作付面積が増加されリネン栽培は復活しました。加えて、亜麻生産組合とともに、亜麻事業が本格化します。

亜麻公社は、亜麻の花が咲き乱れる美しい景色を取り戻すことを目的に、そして亜麻仁油の健康効果に着目、十数年、試験栽培を行ないつづけ技術を開発していきます。

そして、約40年ぶりに北海道での亜麻栽培を復活させたのです。この活動は「亜麻ルネサンスプロジェクト」と呼ばれています。

参考:北海道での亜麻栽培の歴史

まとめ

亜麻を栽培することで地元の産業がうるおいます。それは北フランスや北海道の人々によってなされます。しかし、それは商業的なビジネスというよりは、美しいもの・からだに良いものを提供するというコンセプトを持っています。亜麻の花言葉は「感謝」、化学繊維では決してつくれない自然の恵みに感謝すれば、亜麻栽培そして関連するリネンや亜麻仁油がこれからも長く親しまれることは間違いないでしょう。

参考:北海道が亜麻の産地であった