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北海道での亜麻栽培の歴史

青色や薄紫色の美しい花を咲かせる亜麻は、日本では北海道のみで栽培されている植物です。6月下旬から7月上旬にかけて見頃となる亜麻の花は、地元では風物詩として親しまれています。亜麻からできるリネンや亜麻仁油はよく知られていますが、北海道での亜麻栽培も、時代とともに大きく変化をしてきました。 ここでは、亜麻という植物についてよく知るためにも、北海道での亜麻の歴史や亜麻栽培の現状などを詳しくご説明します。

北海道における亜麻の歴史

アマ科の一年草である亜麻は、中央アジアが原産の植物で、高温に弱いため冷涼な気候である亜寒帯地域で栽培されています。日本では、北海道だけが栽培最適地であり、亜麻産業が始まりました。

北海道の亜麻栽培は明治時代から

北海道で亜麻栽培が始まったのは、北海道開拓時代でもある明治時代です。1871年に、北海道開拓使のお抱え外国人のトーマス・アンチセルが栽培を奨励し、その提案を受けた榎本武揚氏が亜麻から繊維を取る技術を導入して、北海道での亜麻栽培が始まったのです。

1890年には北海道製麻株式会社が設立され、北海道内の各地に亜麻工場が建設されていきました。当時は、軍需産業がメインだったこともあり、1920年には第一次世界大戦の特需がピークとなり、右肩上がりに成長していったのです。1921年には85ヶ所もの亜麻工場が存在し、多くの女性も働いていました。1914?1945年までの第一次世界大戦、第二次世界大戦の時代には、亜麻栽培の面積を大幅に増やし、特需に合わせて繊維を製造し続けていたのです。ピークとなった1945年頃には、亜麻の作付け面積は4万ヘクタール以上もあったと推測されています。現在でも亜麻栽培が行われていることで知られている当別町では、1894年(明治27年)に北海道内3番目の工場が誕生しました。当時は、工場の周辺には旅館や劇場などのさまざまな施設が立ち並んで賑わいを見せていて、多くの人が勤務していたと言われています。

北海道の亜麻栽培の終焉

軍需産業がメインで亜麻栽培が盛んに行われていた時代も、1967年には終焉を迎えました。戦後、敗戦で軍需がなくなったこと、さらに、天然繊維と違って大量生産することが可能な化学繊維が普及してきたことが、亜麻産業が急速に衰退していった原因です。

北海道内でも亜麻の栽培は1967年に終了しましたが、亜麻の生産を由来としている地名が道内の各所にあります。その代表となる地域が、札幌市の麻生です。

1891年から操業していた亜麻工場が閉鎖され、跡地は住宅団地として開発されたのですが、地名変更の相談を受けた当時の工場長が麻の字を残したいと提案し、地名が変更されて札幌市麻生町となったのです。麻生町には「亜麻の畑」と書かれた説明板が建てられ、麻生町が「我国、亜麻産業発祥の地」であると書かれています。亜麻産業が盛んだった歴史を残そうとする先人の思いがとてもよくわかり、麻生町では現在でも亜麻が栽培され、美しい亜麻の花を楽しむことができます。

参考:世界のリネンの歴史 古代から中世まで

亜麻の歴史と栽培に適している土地は

かつては北海道の重要な農産業でもあった亜麻は、古代文明とともに利用されてきた深い歴史がある植物です。

亜麻の歴史

人類が初めて身につけた衣服というと、丈夫で身体に合わせやすい動物の毛皮を剥いだものだったと考えられています。その後、繊維植物に注目して、繊維を取り出したり糸を紡いで布を織るといった技術を身につけるようになり、亜麻が栽培されるようになりました。

人類が亜麻を使うようになったのは、1万年前にさかのぼります。紀元前8,000年頃から、世界文明発祥の地であるチグリス・ユーフラテス川に芽生えた、人類最古の繊維と言われているほど古い歴史があるのです。

古代エジプトでは、リネンは神事にも広く使用され、紀元前3,500年前のミイラにリネンが巻き付けられているのが発見されています。旧約聖書にも、亜麻リネンについての記述が実にたくさんあり、亜麻栽培が生活の営みに大きく影響していたことがわかります。紀元前2,000年頃から、亜麻の栽培や布を織る技術がギリシャやローマに渡り、ギリシャ人やローマ人の間では上質なリネンがとても重宝され、リネン文化が急速に発展していきました。その後、フランスやイギリスへともたらされるようになり、人類最古の衣料としてヨーロッパにおいて長い歴史を築きあげたのです。吸水性や発散性に優れ、丈夫で清潔さが保てる特性があり、肌に優しい素材のリネンは、衣類だけでなく、ベッドルームやキッチンアイテムなどのホームリネンとしても、幅広く活用されています。

北海道で亜麻栽培がされる理由

中央アジアが原産地の亜麻は、寒さに強くて高温に弱いため、冷涼な気候が栽培地として最適です。世界各地の亜寒帯地域で栽培されている亜麻は、日本では北海道だけが該当する気候なのです。

さらに、北海道には広大な土地があります。北海道開拓使が亜麻の種子を輸入して試作を続けたところ、見事に生育しているところを見て、栽培されるようになったのです。当時の北海道の農業は、日常生活に必要な作物を栽培することが第一だったのですが、貿易ができる作物を栽培する必要があると考えました。亜麻は、種子から油が生産できるし、茎からは繊維ができます。戦時下という時代背景もあり、リネンの生産は付加価値がり利益も多いことから、亜麻生産が広がっていきました。亜麻の茎から取れる繊維からできるリネンは、とても強靭で水分を早く吸収するし、発散性に優れているという特徴があります。夏用の衣類としてはもちろん、ロープや帆布、天幕などと用途は幅広く、軍需として最適な素材だったことから亜麻工場もどんどん増えていったのです。

参考:亜麻を栽培する

亜麻栽培復興の動きに関して

亜麻工場を運営していた帝国製麻は、現在も帝国繊維株式会社として存続しています。一時は亜麻栽培が終焉しましたが、亜麻公社が設立されて北海道内の各地の農家に栽培が委託されるようになり、亜麻生産が復活してきました。

2000年に入り、亜麻栽培が復興

昭和40年代まで盛んに栽培されていた亜麻も、化学繊維が普及されたことで姿を消してしまいました。しかし、長い空白期間を経て、亜麻栽培の復活を目指すプロジェクトが結成されたのです。

2001年に、北海道技術コンサルタントに起業推進室を設立し、亜麻事業の試験栽培を開始しました。

亜麻製品の商品化を模索して研究を重ねている時に、亜麻仁油には健康に良い成分が含まれていることもわかり、2004年には(有)亜麻公社が設立されて、亜麻事業が本格的に展開されるようになりました。美容や健康効果が期待できる亜麻仁油の抽出や製品化など、アドバイスを受けながら商品開発を進めています。2005年には「北海道亜麻ルネッサンスプロジェクト」を開始し、2007年には「地域資源活用売れる商品づくり支援事業」にも認定されました。亜麻仁油サプリメントは多くのメディアでも取り上げられ、お客様から高い評価を得て販売量も急激に伸びています。

北海道の亜麻栽培の現状

40年近く栽培されていなかった亜麻は、栽培技術の蓄積もなかったため、栽培を蘇らせるのは簡単なことではありませんでした。

栽培を始めてからは、虫の異常発生や台風被害など、厳しい状況にさらされた時もありましたが、亜麻の花が満開に咲いた時の美しい光景や、黄金色に実った種子の美しさなど、喜びもたくさんあったようです。(有)大塚農業の社長が中心となって、10戸の農家で発足した当別町亜麻生産組合ですが、現在は亜麻の生産面積が8ヘクタールまで広がりました。

まとめ

北海道での亜麻栽培は、現在でも地名として残されているほどに盛んで、その歴史を残したいという思いがとてもよく伝わってきます。現在は、亜麻栽培の復興を目指してプロジェクトが組まれ、亜麻製品の販路拡大に向けてさまざまなイベントが行われています。当別町で開催されている亜麻まつりは、亜麻の花の開花時期に合わせて行われていることから、多くの人が来場している人気のイベントです。北海道の発展の歴史を語る上では外せない亜麻産業ですが、今後は海外産の製品と機能的価格的に勝負していくのではなく、その産業が持つ歴史や携わる人の思い、北海道産ならではの品質や特徴といった、他にはない付加価値によって復興していくことを願ってやみません。

参考:北海道で開催される亜麻のお祭り